中学に入って1ヶ月で学校に行けなくなった。
約1年間、家にいた。そこから少しずつ動いて、今はSE歴20年、金融系システム開発の課長をやっている。部下が10人いて、家庭もある。
文部科学省の2024年度調査によると、小・中学校の不登校児童生徒数は約35万4千人で過去最多を更新した。12年連続の増加で、中学校ではおよそ15人に1人が不登校という計算になる。自分もその「元・不登校児」の一人だ。
劇的な逆転劇ではない。ただ、いくつかの分岐点で少しだけ動いた。その話を書いてみる。

20年前の自分に「課長やってるよ」と言ったら、たぶん信じないと思います。でも事実です。
小3で世界が変わった
小学3年のとき、両親が離婚した。母に連れられて田舎の実家に引っ越した。
知らない土地だった。周りに知っている人はいない。子供ながらに「ここは自分の場所ではない」と感じていた気がする。
小学校は断続的に休むことはあったが、合計すると2ヶ月くらいで、ほぼ通っていた。ただ「楽しかった」という記憶がほとんどない。なんとなくやり過ごしていた。毎日をこなしていただけだった。
振り返ると、この時期にすでに「環境が変わることへの疲弊」の種はあったのだと思う。
中学、1ヶ月で止まった
中学に入学した。また環境が変わった。
引越しもあって、周りに知り合いはほぼいない。同級生たちにはすでに小学校からの関係性がある。その中にぽんと放り込まれた。
疎外感があった。「またゼロからやるのか」という気持ちが重かった。小学校をなんとかやり過ごしてきた分、中学で完全に糸が切れた。
1ヶ月で行かなくなった。正確には、行けなくなった。
明確ないじめがあったわけではない。誰かに何かをされたわけでもない。ただ、あの教室にいることが自分にはできなかった。
不登校の1年間は意外と暇じゃなかった
学校に行かない日々が始まった。約1年間続いた。
何もしていなかったかと聞かれると、そうでもない。ゲームをやり、勉強もしていた。PCを触り、Magic The Gatheringにハマった。
「不登校=引きこもって何もしない」というイメージを持つ人がいるかもしれないが、自分の場合はむしろ忙しかった。学校という枠がなくなった分、自分の興味に全振りできた。
親は無理に登校を促すことが一切なかった。これは今思うと大きい。
代わりに相談機関に定期的に通っていた。相談員の人と遊んだり、少し話したりする程度。カウンセリングという堅い感じではなく、ただ一定のサイクルで外に出て誰かと過ごす時間があった。
当時はなんとも思っていなかったが、今振り返るとこの距離感がちょうどよかったのだと思う。詰められず、放置もされない。その間で少しずつ息をしていた。
文部科学省は「不登校児童生徒への支援の在り方について」の通知の中で、不登校の時期が休養や自分を見つめ直す等の積極的な意味を持つことがあると明記している。当時の自分がまさにそれだったのだと、この文書を読んで腑に落ちた。
嫌いな祖母がくれた転機
転機は意外なところからやってきた。
祖母が、不登校の子供が通う施設を見つけてきた。母にそこへ行かせるよう提案した。
正直に言うと、祖母のことは好きではなかった。だからその提案も素直には受け入れられなかった。半強制的に通い始めた記憶がある。
でも結果として、この施設に通えるようになったことが自分の人生で一番大きな転機だった。中学の間に約1年かけて、そこに通えるようになった。
高校は消化試合、大学でプログラミングに出会った
- 小学3年両親の離婚・転校
母に連れられ田舎の実家へ。知り合いゼロの環境で小学校をなんとかやり過ごす。
- 中学1年入学1ヶ月で不登校に
再び環境が変わり糸が切れた。約1年間の不登校期間が始まる。
- 中学2年施設への通所開始
祖母が見つけてきた不登校支援施設に半強制的に通い始める。人生最大の転機。
- 高校普通科に進学
自宅近くの高校へ。担任の勧めで大学進学を決意。
- 大学工学部夜間でプログラミングに出会う
初めて「学ぶ場所が自分に合っている」と感じた。コードを書く面白さに目覚める。
- 就職〜現在SE課長・部下10人のチームを運営
20年間同じ会社で金融系システム開発に従事。転職せず課長に。
高校は自宅から近い普通科に進学した。田舎なので選択肢がほぼなかった。
正直、面白くなかった。ただ通っていただけだった。唯一、数学だけは成績がよかった。
大学進学する生徒がほとんどいない高校だったが、担任の先生に「大学に行け」と勧められた。おそらく学校の進学実績を作りたかったのだと思う。理由はどうあれ、この一言がなければ大学には行っていなかった。
工学部の夜間に進学した。ここで初めて「学ぶ場所が自分に合っている」と感じた。
理由は2つある。自分でカリキュラムを組めること。そして団体行動を強制されないこと。小中高とずっと苦手だった「集団の中にいること」から解放された。
そしてプログラミングに出会った。コードを書いて、動く。自分の書いたものが画面上で結果を返してくる。これが純粋に面白かった。
学校が面白くなかったのではなく、学ぶ内容と環境が自分に合っていなかっただけだった。大学でそれに気づけたことは大きい。
就活を知らないまま社会人になった
就職活動の仕組みを正直よくわかっていないまま就職した。情報系の学部だったので、そのままSEになった。
大企業を目指すという発想がそもそもなかった。「この規模の会社なら自由にやれるだろう」「自分が活躍できるだろう」という見立てがあった。
結果的にその読みは当たっていた。20年間、同じ会社で転職せずに課長になった。部下が10人いる。金融系のクライアントを担当し、システムを作っている。
ただ今振り返れば、もっと大きな環境に挑戦してみても面白かったかもしれない。当時の自分には想像もつかなかった選択肢が、実はあったのだろうと思う。これは後悔ではなく、今だから言える感想だ。
不登校と関係あるもの、ないもの
社会人を20年やってきて、自分の特性についてはだいぶ理解が進んだ。
よく「不登校の影響で人付き合いが苦手なんでしょう」と思われるかもしれないが、自分の場合はそうではないと思っている。
不登校だったことをすべての原因にしてしまうと、自分自身を見誤る。「不登校だったから」と「もともとの自分の性格」は分けて考えた方がいい。
教育機会確保法のパンフレットでは、不登校はどの児童生徒にも起こり得るものであり、問題行動ではないと明確に位置づけている。この考え方は、不登校経験者が自分を過度に特別視しないための支えにもなるはずだ。
課長としてチームをまとめる中で、対応の仕方は経験値で学んでいった。マニュアルがあったわけではない。場数を踏んで「こういう時はこう返す」というパターンを蓄積していった。不登校経験があろうがなかろうが、社会人はみんな同じことをやっていると思う。最近は生成AIの登場でSEに求められるスキルも変わりつつあり、その変化と若手教育のアプローチについては生成AI時代に必要なスキルと若手教育の進め方で詳しく書いている。
よくある質問(FAQ)
- Q不登校から復帰するきっかけは何でしたか?
- A
筆者の場合、祖母が見つけてきた不登校の子どもが通う施設に半強制的に通い始めたことが最大の転機でした。自発的な動機ではなく、本人としては不本意なスタートでした。しかし「動いた」という事実だけが残り、そこから少しずつ社会との接点が増えていきました。きっかけが自分の意思か他人の後押しかは問題ではなく、動いたかどうかが結果を分けたと感じています。
- Q不登校経験はIT業界で不利になりますか?
- A
筆者の実感としては不利にはなりませんでした。IT業界、特にSE職は成果物で評価される場面が多く、過去の学歴や出席日数が問われることはほぼありません。面接で不登校を聞かれたこともありませんでした。それよりも「何が作れるか」「論理的に考えられるか」が重視されます。不登校の期間に独学でPCを触っていた経験が、結果的にプログラミングとの出会いにつながっています。
- Q不登校の子どもに無理に登校させるべきですか?
- A
筆者の親は無理に登校を促すことが一切ありませんでした。これは今振り返ると非常に大きかったと感じています。代わりに相談機関に定期的に通う環境を用意してくれました。無理に学校に行かせるのではなく、学校以外の選択肢を複数用意し続けることに意味があります。文部科学省の通知でも、不登校支援は「学校に登校する」という結果のみを目標にしないことが明記されています。
- Qプログラミングは不登校の時期に始められますか?
- A
はい、自宅にPCかタブレットがあれば今日から始められます。筆者は不登校の時期にPCを自由に触れる環境があり、それが後のプログラミングとの出会いにつながりました。小学生ならScratchやViscuit、中学生以上ならPythonやHTML/CSSなど、年齢に応じた無料ツールが豊富にあります。プログラミング教育の具体的な始め方はScratchの始め方ガイドも参考になります。
- QSE(システムエンジニア)になるために学歴は必要ですか?
- A
必須ではありません。筆者は工学部の夜間に進学しましたが、SE業界には専門学校卒や独学でスキルを身につけた方も多くいます。重要なのは「論理的に考えられること」と「コードを書いて動かした経験があること」です。最近では生成AIの登場でコーディングの敷居がさらに下がっており、未経験からでも実務レベルに到達しやすくなっています。SE職の実務で求められるスキルの変化は生成AI時代に必要なスキルと若手教育の進め方で解説しています。
まとめ|不登校は「終わり」じゃなかった
ずっと不登校のままだったら、今の状態はなかったと思う。
動いたタイミングがあった。それは自発的なものだけではなく、嫌いな祖母からの半強制もあった。大学進学も先生の一言がなければなかった。自分の意思だけで切り拓いたわけではない。
でも、どちらでもいいと思う。きっかけが自発的か他発的かは問題ではない。動いた事実だけが残る。
無理に動かす必要はない。ただ、きっかけを置き続けることには意味がある。相談機関、施設、人との接点。本人がいつ拾うかはわからないが、選択肢がゼロの状態にしないことが大事だと思う。
不登校がすべてを決めるわけではない。自分の特性と不登校の影響は分けて考えた方がいい。動いた分だけ選択肢は増える。タイミングは人それぞれで、早い必要もない。

不登校の経験は「終わり」ではなかったし、「始まり」でもなかった。ただ、人生の一部だった。それをそのまま書けたことに意味があると思っています。
文部科学省2024年度統計データの追加、FAQのブロック形式変更、タイムライン追加、外部エビデンスリンクの追加を実施しました。
2026.03.20 ─ 文部科学省2024年度統計データの追加、FAQのブロック形式変更、タイムライン追加、外部エビデンスリンクの追加を実施しました。
2026.02.15 ─ 初版公開




